「がんばること」「がんばらないこと」キャプテンを知ってからずっと考えてきたこと。
今も日々考え中ですが、サイトを始めたときの呟きと、その後ブログを書いたりしながら出てきた答えの一つを、載せています。
頑張り過ぎちゃってるあなたに。かつての私に。





1.キャププレの日々〜サイト開設時のご挨拶を兼ねたつぶやき

さて、あーつーいー想いっ♪を語ろうか(笑)。
もう管理人はあっちこっちでキャププレ愛は垂れ流して来てるんで、今更・・ですが。どれだけキャププレが素晴らしいかは沢山の素敵サイトさまが全て語ってくださってることだし(前置き長いぞ)。
と、いうわけで、とりあえずオールドファンとして、自分の人生とキャププレ、について語ってみよう。
まず。自分にとっての谷口とは?
 
          なりたい自分。

なりたかった、ではない。30代すぎた今でも、こうありたいと、現在進行形だ。  
ええと、キャププレを読んだ中学生の頃の思い出は、あるささやかな成功体験がセットになっている。所謂、キャプテンに感動して部活をがんばったら、レギュラーになれた、という、当時の読者ならよくありそうな話だ。(雪うさぎはテニス部球拾いでした。)
すみません、正直に言います。がんばったのはもっと不純な動機です。
まだ2次創作とかがブームになる前の時代のこと。当時めっちゃめちゃキャプテン大好きだった自分、とんでもないことを考えてたようです。それは・・

           二次元世界の 三次元化

妄想するさらに先、現実世界で連中を体感してみようという・・おっそろしい脳内計画。
かくて日夜特訓を重ねて、しかも幸せ。
努力する自分に酔うのはナルシストだが、努力する自分の中に墨谷魂を感じてうっとりするというのは・・、やっぱ、オタクだな。
まあ、結果を追求しない努力、でしたが思いがけず成果が出て、「君は何かが出来る」
、という原体験しちまったわけです。
その後ちばセンセの急逝もあり、谷口イズムの実践が最大の供養だ!と思春期少女は思っちまって、なんか、自分の中で聖書みたいになっちゃったですね。
できないこともあるけど、あきらめないことで、何か近いところまではいける。
人は、なりたいと思ったものに一番近いものになれる(いわしげ孝「ジパング少年」)




当時、最後に描いた葉書のコピー。どこに出したんだろう・・・。



さて、右手に「がんばる」だが、左手には「がんばらない」
もう一つ、大事な言葉を雪うさぎは持っています。
尊敬する恩師が、初めて会ったときにくれた言葉です。「雪うさぎです、がんばります!!」「あほう!がんばるな!」衝撃の一喝でした。「がんばりすぎたら壊れるんだ」
といわれました。バランスを欠いた若者だったのかも知れません。プレイボールでの、田所さんや山本さんのもつバランス感覚、今ならすごく分かります。
何のために「がんばる」のか
ちばセンセは、「がんばる」素晴らしさを教えてくれましたが、その危険性・・については、どう考えていたのでしょう(近藤キャプテン編がひとつの答えではありますが。)
がんばりすぎて逝ってしまった人から、もらえなかった解答。実はずーっと、気になっていました。
雪うさぎは頑張り方を間違えて、沢山のものを犠牲にしました。だれも幸せにしない頑張り、というのがこの世には存在します。忍耐、という言葉は美しいですが、自己否定の努力、という暗黒の側面を持ちます。
「自分を信じるためにがんばる(自己肯定の実践)」、という素敵な解答メッセージは、アニメ「プレイボール2nd]最終話で、もらいました。ちばセンセの後を生きてきた人たちからのメッセージです。すごく嬉しかった!!大切にしたいと思います。
2006.5.19 雪うさぎ
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2.*がんばると がんばらないの むこう側 2006/09/22 23:59
サイトを開いたいっとう最初に、誰かに伝えたかったこと。
特に、もしかしたらがんばるに自縛されて身動きできなくなっている人に、伝えたかったこと。
道草の巻頭「キャププレの日々」に、最初に、”がんばる”と”がんばらない”のバランスについて書いた。
そしたら、がんばるがんばるの果てに、同じことを思ってくれてる人達がいて。

ただ、”がんばる”と”がんばらない”のその先が、あるとしたら、どんな世界なんだろうということも、気になっていました。

最近、ヒントになる文章を見つけたので、載せます。
小田和正ファンクラブ会誌から、抜粋(すんません)。


「いや、努力家って程じゃないよ。俺は、努力する”たち”なんだろうな。」
努力する人とか言われるのは、とっても不本意なわけでね。自分を強いて、物凄く努力する。それはとっても大変なことだと思うんだ。でも努力する”たち”っていうのは、強くなくても努力するわけだからさ?ひたすら努力を重ねる人とは負担度が違うんだよ。なにしろ”たち”だから(笑)。綺麗好きの人が言われなくても掃除するのと一緒かって? そうだと思うよ。そこは大いに違うんだな。


そうじと一緒に軽く言っちゃってるけど、きっと、生き方の部分だから、あたりまえで凄いことだと思う。
呼吸をするように、ごく自然に、努力するように体が動く。子供が、目を輝かせて遊びに夢中になるように、努力をする。
結果がでなくても、「努力が足りないからだ」と自分を責めることはない。そのままの結果を受け入れていく、そんな理想の形だと思う。
いいなあ、そんなところまで、進化したいなあ・・。




3.(追加〜2007.9.25)
おそらく、頑張ったこと、頑張りすぎたこと、傷付いたこと、もう頑張れなかったこと、すべて血肉になっている。
頑張らなくっちゃと意志を固めなくても、自然に体が動いてしまう、そこまでいけたら、それが「がんばる」と「がんばらない」の向こう側なんだろう。
肩の力を抜いて。
♪答えよりもっと大事なことは勇気出して自分を試すことだ
 君は何かができる だれも何かができる
歌詞にすべて含まれていたというのが、なんとも・・・・(笑)。
ときに足枷になるものも愛おしく思おう。自由に動けないことも、それすら肩の力を抜けと言ってくれている、意味がある。(・・・・熱を出した子供の横で考えたこと)。







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