ただ、奇子に、見せてやりたかったのだ。

外の世界を何一つ知らない、かわいそうなちいさな奇子に。

「伺朗にいちゃん、これ、なあに?」

土蔵に持ち込まれた一匹の青虫は、

不思議そうに見つめる奇子の前で、無心に青いキャベツの葉に穴を広げていく。

これは、蛹になって、真っ白な蝶になるんだと、説明してやる。

「そりゃあ、綺麗なもんだ。真っ白な羽で、ひらひらと飛ぶんだよ。」

奇子は目を輝かせる。

「奇子、おぼえてるよ?すえねえちゃんと手えつないで、お散歩してたときに、

たくさんたくさん、ひらひら飛んでた。黄色いお花がいちめんに咲いてたわ。」

ちいさな青虫の入った籠を、大事そうに抱きしめる。

そんな奇子の奇妙に幼い仕草に、伺朗は目を伏せた。

「伺朗にいちゃん、青虫、動かないの。」

「ああ、もう蛹になるんだ」

「奇子、楽しみ。毎日みてるの。白いチョウチョ、まってるの。伺朗にいちゃんが

くれたものだから。・・・伺朗にいちゃんだけよ?奇子にいろんなこと教えてくれて、

奇子を外の世界に連れ出してくれるのは。」

傷一つない、柔らかな妹の肌に、ぼうっと光る白い羽が生えたような錯覚に、伺朗は目をこする。

「・・・もうじき、みられるから。俺が、見せてやるから・・・」

白い蝶も、外の太陽の光も。

「奇子は今、みせてほしいの。ね・・・」

何かをねだるように、細くしなやかな指が、伺朗の頬に触れる。

ああ・・・

伺朗は、罪の意識を飲み込む。これは、奇子の望みだから。

俺は、奇子が喜ぶなら、・・・畜生に落ちても、いい。

天外の家のすべての者の生け贄になった、この哀れで無垢でガラス細工のように美しい

女の肉体をまとった、ちいさな奇子のためなら。

「ね、いつものように、みせて・・・・・伺朗にいちゃん」

土蔵の床を持ち上げたとき、いつもと違う妙な胸騒ぎを感じて伺朗は急いで覗き込む。

「奇子?」

奇子は、呆然とした表情で、階段を見上げていた。

「伺朗にいちゃ・・・・これが、チョウ・・・・?」

駆け下りて、伺朗はあっと声をあげる。

動かなくなった青虫の躯から、ちいさな黄色い繭がいくつも。

「くそっ!!産みつけられてたんだ・・・!」

コマユバチの繭だ。

蝶にはならないんだと、死んでしまったんだと。

よかれとおもって、ただ、奇子の喜ぶ顔が見たかっただけなのに、俺はただ・・・。

籠を力いっぱい壁に投げつけた伺朗の背中越しに、

青虫、死んじゃったの?、と奇子は問うて、そして少し泣いた。

「奇子、幸せよ・・・・?」

「いうな・・・・っ」

綺麗な、奇子。

苦し気に、伺朗は、それでも奇子を抱く。

自分のやっていることは、奇子を救ってなどいない。でも、それでも。この地下からでられない

奇子の願いなら。

「この・・世界で・・・いいの。奇子、伺朗にいちゃんだけで・・・・いい。」

「ここからでたら、きっと、奇子死んじゃう・・・・」

伺朗は、蛹になることなく、腐り落ちていった、青虫のことを思った。

瑞々しい柔らかな翡翠色の躯のまま、違うものを孕んでいた小さな塊のことを。

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